大学生
笠原 優華さま
私は現在、大学で社会福祉を学び、ソーシャルワーカーを目指しています。福祉やケアの現場を学ぶ中で、地域住民が主体となって支え合う「コミュニティソーシャルワーク」に関心を持つようになりました。
実は私自身、過去に学校へ行けなかった時期があります。その当時、出会った人たちの温かい関わり合いや、いつもと変わらず接してもらった経験が、人を嫌っていた私が心を開く一歩となり、前へ進むための大きな力ともなりました。
この経験から私は、誰もが人生の中で困難や行き詰まりに直面したとき、身近な人から受け入れてもらった、支えてもらったという経験が、その人がその人らしく生きていくための大きな支えになると考えるようになりました。だからこそ、「人とのつながりや、第三の居場所(サードプレイス)が、生きづらさを抱える子どもや若者にとってどれほど救いになるのだろうか」という思いが、私がコミュニティソーシャルワークに興味を持つきっかけの一つとなっています。
私がエンドオブライフ・ケア協会(ELC協会)と関わるようになったきっかけは、2026年4月に開催された設立11周年シンポジウム「声にならない声を聴く ~子ども・若者・認知症とともに生きる社会へ~」への参加でした。このシンポジウムでは、「声にならない声」にどのように気づき、どのように向き合うのかをテーマに、ユニバーサル・ホスピスマインドや、子ども・若者にとっての「居場所」について考える時間がありました。私はそこで、自分自身が学校へ行けなかった時期の経験や、人との関わりによって少しずつ前へ進むことができた経験について話す機会をいただきました。
近年、学校へ行けない子どもたちの数は増え続けています。その現実を前に、私は以前から、学校の外にもその子を温かく包み込み、ありのままの存在を認めるコミュニティが必要なのではないかと考えていました。たとえすぐに学校へ戻ることができなくても、「ここにいていい」と感じられる居場所があれば、社会の中で生きていくための安心感や、人と共に生きる力を育むことができるのではないかと思ったからです。
この考えは、エンドオブライフ・ケア協会が大切にしている「ユニバーサル・ホスピスマインド」ともつながっていると感じています。ユニバーサル・ホスピスマインドとは、人生の最期にある人だけではなく、年齢や立場、置かれている状況に関係なく、すべての人が「自分の存在をそのまま受け止めてもらえる」と感じられる関係を大切にする考え方だと私は捉えています。
「何かをしてあげる」のではなく、「あなたのそばにいる」「あなたと共にいる」という姿勢は、私がこれまで福祉の現場で学んできたこととも重なります。困っている人を一方的に支援するのではなく、その人の存在そのものを尊重し、同じ地域で生きる一人の人として関わること。それは、子どもや若者に対しても同じなのではないでしょうか。
このように子どもや若者への支援、コミュニティのあり方を模索する中で、イギリス・ブレアトン(Brereton)のVysionsが主催するサマープログラムに参加する機会を得ました。サマープログラムの会場であるLee Hallに到着してまず驚いたのは、その自由な空気感でした。ダンスやカラオケ、フットボール、クラフトなど、さまざまなアクティビティが同時に行われており、子どもたちは自分の興味のある場所へ行き、自分のペースで時間を過ごしていました。
↓ある日のお昼ご飯

特に印象的だったのはクラフトエリアです。そこには新聞紙などのシンプルな材料が置かれているだけで、完成された見本はありませんでした。子どもたちは、そこから王様のコスチュームやイヤリング、ヘッドフォン、サッカーボールなど、思い思いのものをゼロから作り上げていました。大人が「こう作るものだ」と見本を示して導きたくなるような場面でも、ここでは子どもたちの想像力に委ねられていました。その姿を見て、私は「支援する側が答えを与える」のではなく、「その人の中にある力を信じて待つ」ことも、一つの大切な支援なのだと感じました。
また、お昼にはCo-opから寄付された食事が参加者に提供されていました。ここでは、福祉施設のような場所だけが支援の担い手になるのではなく、地域のお店や企業など、さまざまな人や組織が関わりながら子どもたちの居場所を支えていました。
この仕組みを見て、コミュニティソーシャルワークとは、専門職が地域の人を「支援する」だけではなく、地域にすでに存在する人と人とのつながりや、企業、団体、住民の力をつなぎ合わせながら、「共に生きられる環境」をつくっていくことなのではないかと感じました。そして、そこにはユニバーサル・ホスピスマインドにも通じる「共にある」という姿勢があるように思います。
子どもが学校へ行けないとき、「どうすれば学校に戻れるか」だけを考えるのではなく、まずは「今ここにいるあなたと一緒にいる」という関わりがあること。障害がある人に対して「支援される人」として接するのではなく、一人の地域住民として共に活動すること。人生の最期を迎える人に対しても、その人の人生や存在を尊重しながら「共にある」こと。こうした姿勢は、対象が誰であっても変わらないのではないでしょうか。
サマープログラムは、子どもたちを「支援する場所」というよりも、子どもたちが自分らしく存在し、地域の中で人とつながりながら過ごす「共に生きる場所」のように感じました。一方で、私自身の経験を振り返ると、学校という場所は決して嫌な場所だったわけではありません。学校へ行けるようになった後、そこで出会った人たちとの関わりや、誰かと一緒に過ごす時間が、私自身の力になりました。学校という場所に戻ったからこそ得られた人とのつながりや経験もあり、それらが前へ進むための支えとなりました。
だからこそ私は、「学校に行くこと」と「学校以外の居場所」を対立させて考えるのではなく、子どもが安心して人とつながれる場所を複数持てることが大切なのではないかと考えています。学校にいることで支えられる子どももいれば、学校以外の場所で自分らしくいられることで力を得る子どももいる。大切なのは、学校だけを唯一の居場所にするのではなく、その子自身が「ここなら自分でいられる」と思える場所が社会の中に複数存在することなのだと思います。
そして、学校以外の地域の居場所で人との関わりを経験することは、再び学校へ向かうきっかけになる場合もあれば、すぐに学校へ戻ることができなくても、その人が社会の中で人とつながりながら生きていくための力になる場合もあります。どちらも、その人の人生にとって大切な経験なのではないでしょうか。
さらに、子どもや若者を地域の中に巻き込み、同じ地域で暮らす人々とつながる機会をつくることは、孤立や生きづらさを抱えている人の存在や、まだ言葉になっていないニーズに気づくことにもつながるはずです。「助ける人」と「助けられる人」を分けるのではなく、誰もが誰かの支えになり、同時に誰かに支えられながら生きていく。そのような関係性を地域の中につくっていくことこそ、私が目指したいコミュニティソーシャルワークの一つの形なのだと思います。
今回のサマープログラムでの経験を通して、私は「人を支援する」という言葉の意味を改めて考えるようになりました。人を変えることではなく、その人がその人らしくいられる場所をともにつくること。そして、困難を抱えたときにも「あなたは一人ではない」と感じられる関係を、地域の中に育てていくこと。それは、子どもや若者だけでなく、人生のどの段階にいる人にとっても必要な、「共に生きるためのケア」なのではないかと感じています。
↓サマープログラムで日本語教室を行った際の風景

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